一国二制度とは?香港の歴史を年表付きでわかりやすく簡単に説明

今回は香港の歴史をご紹介します。

香港ではよくデモが起こりますが、 その背景には一国二制度という政治体制や中国、イギリスとの関係があります。

少し複雑なので難しいですが、できるだけわかりやすく簡単にご説明します。

香港とは?どこにある?

香港は中国の広東省の近くに位置して、面積は1,106平方キロメートルと東京都の半分の面積です。東京都の人口952万人(2015年)の2/3以上である、752万人が香港に住んでいます。また、民族は漢民族が人口の91%を占めており、宗教は仏教、道教、プロテスタントなどが信仰されています。

また、香港人は中国の中国語とは違って、広東語という言語を喋ります。さらに中国は共産主義ですが、香港は民主主義です。

面積 1,106平方キロメートル(東京都の半分の面積)
人口 752万人
民族 漢民族(91%)
宗教 仏教、道教、プロテスタントなど
言語 広東語、英語、中国語(マンダリン)ほか

香港は誰のもの?

香港は中国と同じ漢民族が多く住んでいますが、「香港は誰のものか」尋ねると答えは変わります。

香港人は香港、中国人は中国と答えるでしょう。そのため、センシティブな質問となるのであまり好んで話題にしない方がよいです。

香港の歴史

香港の歴史年表

1839年 アヘン戦争
1842年 南京条約により香港島がイギリスの統治下へ
1856年 アロー戦争
1860年 北京条約により九龍半島がイギリスの統治下へ
1898年 今後99年間は香港島、九龍半島、新界がイギリスの植民地になる条約締結
1984年 英中共同声明を発表、一国二制度での香港返還に合意
1997年 香港返還
2003年 国家安全条例に対する50万人デモ
2014年 雨傘運動
2015年 銅鑼湾(どらわん)書店失踪事件
2019年 逃亡犯条例に対する200万人デモ
2020年 国家安全法制定

いつからイギリス領?きっかけはアヘン戦争

1839年に中国とイギリスの間でアヘン戦争が勃発し、イギリス軍が1841年に香港島を占拠します。そして、そのままアヘン戦争で敗れた中国に対して、イギリスは南京条約を結んで香港島がイギリスの統治下になります。

その後、1856年に中国と、イギリスとフランスたちの間でアロー戦争が起こり、北京条約を1860年に結んだ結果、九龍半島という香港島より北の部分がイギリスの統治下に入ります。

本格的にイギリスの統治下に入ったことで、国際貿易の中心地として香港は発展します。

香港が返還された理由は租借条約!その後は世界有数の金融都市に

1898年にイギリスは中国と租借条約を結び、今後99年間は香港島、九龍半島、新界がイギリスの植民地となりました。この時代のイギリスといえば、世界でも最も優れた経済力を持っていたのでその資本投下を受けた結果、香港はアジアにおける金融の中心地になるのでした。

その後、一時期日本軍の統治下に入りましたが、日本の敗戦後はまたイギリス型の経済成長を遂げて中国本土よりも高い経済成長を遂げていました。

イギリスの支えで世界有数の金融都市に

1982年に中国とイギリスは香港の返還に関する交渉を開始します。そして、1984年に「1997年7月1日に香港を中国に返還する」ということが決まりました。この決定を英中共同声明と言います。

この時に、香港は返還後50年間は高度な自治が保証されるという約束をしたのですが、50年経たないうちに中国政府が香港に対して締め付けを強めてしまったので、今日の問題につながっています。

香港で親中派というと、一般的に中国に友好的な政治家を指します。北京の命令に背いたりせず、北京の思惑通りに事を運ぶ人です。また、経済界では、中国と関わりをもってビジネスをしている人を親中派と言います。

これらの人々の多くは中国と関係が良好になると、経済的な恩恵を受けられるのが原因で親中派と呼ばれています。

また、別に中国が好きではないけど、中国とビジネスをやっている人もいます。彼らは親中派と呼ばれることもありますが、香港人がデモを行うと経済が停滞してしまうため、デモすることには懐疑的という立ち位置だという人も中にはいるのです。

香港はいつから中国?1997年に一国二制度開始

1997年7月1日に香港が中国に返還されて、一国二制度という統治体制で中国の支配が始まります。一国二制度とは、 中国という一つの国の中に、香港と中国という二つの統治体制を設けるということです。

その後、社会主義の中国とは違って資本主義をベースにして香港経済は成長します。 社会主義体制よりも、資本主義体制の方が欧米各国を引き付けやすいので、欧米の資本や人材を取り入れながら香港は中国と違った魅力を武器に発展しました。

また、イギリス統治下にあったこともあって、香港人は英語が強かったのも魅力になりました。

2003年にもデモが発生

香港が中国に返還されてから2003年に最初に大規模なデモが発生します。このとき香港に国家安全条例が制定され、中国は政権転覆や国家分裂を禁止しようとしました。しかし、言論の自由が脅かされると反発した市民が50万人規模のデモを行い、撤回されます。

なぜ2014年に雨傘運動は発生したのか?

2003年のデモを受けても中国は香港の統治を弱めたわけではありませんでした。その後、中国は香港のトップである行政長官を選ぶ仕組みを自分で変えてしまいます。特にトップになれる人は「愛国心」を持った人のみに限られるようになります。

つまり、中国にとって言うことの聞く人材を香港のトップに置くことができるようにしたのです。これで選挙をやっても結局中国の思う通りにしかならないことに反発した香港市民はデモを起こします。これが俗に言う「雨傘運動」です。

なぜ雨傘運動なのかというと、デモを行う際に警察官から鎮圧のために催涙ガスを巻かれます。それを防止するために使ったのが雨傘でした。こうして、雨傘がこの運動のシンボルになったのです。また、雨傘運動のトップはまだ高校生だった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏と周庭(アグネス・チョウ)氏です。

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奪われる言論の自由

2015年に中国政府に批判的な書籍を扱う書店の店長や関係者が失踪するという事件が起こりました。 そして彼らは中国に拉致されて24時間監視されたと言うことが明らかになります。この事件を銅鑼湾(どらわん)書店失踪事件と言います。それ以後、香港から中国に対する批判的な書籍は消えました。

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2019年、逃亡犯条例に関するデモが発生

2019年に中国政府は香港から中国本土へ容疑者引き渡しを可能にする条例改正案を発表しました。しかし、改正案は中国政府に反対する人を抑え込むためではないかとも言われていました。たとえば、中国政府に反対する人が犯罪をでっち上げられた結果、中国にそのまま身柄を引き渡されてしまう危険性があります。

これに危機感を持った人々が大規模なデモを起こしました。200万人がデモに参加して8000万人が逮捕される時代になりました。その結果、逃亡犯条例は撤回されます。

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香港からデモが消えた?

2020年6月30日に香港国家安全維持法が施行されます。この法律では、国家分裂誘導やテロ行為が禁止され逮捕されます。つまり、この法律ができれば、デモは国家転覆を煽るとされて逮捕される可能性があります。

これを受けて、香港のデモグループは解散し、リーダーだった黄之鋒や周庭は逮捕されてしまいます。

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今後の香港はどうなるのか

香港は2047年に中国の完全なる統治下に入ります。本来は、この時期まで何事も起こらないはずですが、締め付けを強める中国政府によって香港情勢は混乱が続いています。

当然、デモを行っていた人も今のままでは香港は蒸発してしまうという思いから黙っていません。その一方で中国も危険分子は排除するために逮捕して香港を静かにさせて治安を維持しています。

これがまさに香港が独立できない理由で、中国が押さえ込むからです。

どこかで間違えれば、今までのデモの死者以上の死者数が出ないとも限りません。2047年までに必ず何かが起こるでしょう。

まとめ

今回は香港の歴史についてご紹介しました。イギリスの統治下にあったおかげで、香港は一国二制度と資本主義経済を手にできたことと、香港では中国政府と双方の反発によってデモが起こっているということを覚えていただければと思います。

ぜひ、参考にしてみてください。

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