鄧小平は改革開放運動を行い、中国を近代化に導いた人物です。
その鄧小平はどういった人物で、どのような理論や政策を唱えたのでしょうか。
また、日中関係の基盤となった鄧小平の来日はどのようなものだったのでしょうか。
詳しくみてみましょう。
鄧小平とは
鄧小平は1904年8月22日に四川省で生まれた政治家です。改革開放、一人っ子政策などを行い現代の中国に大きな影響を与えました。
また、鄧小平には客家の血が流れており、1920年、16歳の時にはフランスに留学してルノーの工場でも働いていたこともあります。ちなみに、1925年に中国共産党のヨーロッパ支部トップになったのでフランスからは追放されています。
その後、ソ連に留学して共産主義を学びます。この時に後に中華民国の指導者になる蒋経国(蒋介石の息子)と知り合っています。
そして、帰国後は毛沢東とともに政治に携わりますが、大躍進以降は対立を深めることになります。
その後、政治闘争に巻き込まれた後、1977年に鄧小平は実権を掌握します。
副首相として日本へ来日したり、訪米してカーター大統領と会談したりして日中、米中の国交正常化にも貢献しました。
鄧小平の身長
鄧小平の身長は150cm(157cmという説もあり)程度しかありませんでしたが、毛沢東は鄧小平と一緒にソ連のフルシチョフと会った際に「このチビを甘く見てはいけない。蒋介石を一掃したのだ」と紹介したエピソードが残っています。
また、小柄でありながら頭の回転が早く眼光が鋭かったので、ハリネズミの鄧とも呼ばれていました。
一方で、鄧小平は中国語でドンシャオピンと発音しますが、小瓶も中国語でシャオピンと発音します。そのため、小瓶とも言われていました。
鄧小平の理論「先富論」
鄧小平は「豊かになれるものが先に豊かになって貧しいものを助ける」という先富論を提唱しました。この理論を提唱する前、毛沢東(もうたくとう)をトップにした中国は社会主義思想であり「みんな平等で横並び」が基本でした。
しかし、それでは経済は発展しませんでした。そのため、鄧小平は今までのやり方を変えて資本主義の仕組みを取り入れて国を発展させようとしたのでした。
その一方で、鄧小平は1973年3月、中国共産党が守らなければならない「四つの基本原則」を提唱しました。
- 社会主義の道
- 人民民主主義独裁
- 中国共産党の指導
- マルクス・レーニン主義、毛沢東思想
しかし、鄧小平がやろうとしていることは、これまでの中国の社会主義と一致しなかったので保守層からは反発がありました。
鄧小平の名言
鄧小平の名言には以下のようなものがあります。
原文 | 日本語 |
---|---|
不管黑猫白猫、捉住老鼠就是好猫 | 白猫でも黒猫でもねずみを捕る猫がよい猫だ |
尊重知识、尊重人才 | 知識を尊重すれば、人材も尊重できる |
科学技术是第一生产力 | 科学技術はもっとも大事な生産力である |
抓住町机, 发展自己,关键是发展经济 | チャンスを掴んで自己発展するカギは経済成長だ |
社会主文的中国進也功揺不了 | 社会主義の中国は誰にも惑わされない |
特に、「白猫でも黒猫でもねずみを捕る猫がよい猫だ」というのは「白猫黒猫論」として有名です。国共内戦の時に鄧小平が蒋介石の軍を臨機応変に対応して打ち破ったことをこのたとえを使って表現したと言われています。
現在では、「毛沢東時代の社会主義色の強い中国経済よりも、結果が出る資本主義を取り入れた経済の方がいい」という比喩表現としても解釈されています。
鄧小平の改革開放政策
鄧小平は改革開放政策を行いました。内容は主に以下の3つです。
- 人民公社の解体
- 社会主義市場経済
- 経済特区の制定
人民公社を解体して、農業の生産性を向上させました。
そして、先富論に基づく社会主義市場経済を導入して、中国に経済特区を作ったことで外国の資本を取り込みました。
鄧小平と日本の関わり
1978年8月に日中は平和友好条約を締結します。そして、その2ヶ月後の10月に鄧小平が中国の指導者として初の正式訪日をします。
鄧小平は訪日に際して、「我々は日本に教えを請うために来た。正しく現状を把握して技術を学べば希望が生まれる」と発言しています。
鄧小平の来日
鄧小平は来日をした目的は2つです。
- 日中平和友好条約の批准
- 日本を代表する大手企業を見学
移動のために、東京から新幹線に乗車した際、「ムチを打っているような速さで、我々が求めている速さ」とコメントを残しています。
そして、松下電器へ訪問した際には電子レンジの説明を受けます。案内人が説明の際に焼売を加熱して実演を行いましたが、鄧小平はその焼売をパクりと突然食べてしまいました。電子レンジが未知なものであっても、何でも試してみるという鄧小平の精神に一同が驚いたといいます。
鄧小平が日本を訪れた後、日本の研究者が中国に招かれるようになり、日中の技術者の交流が活発化しました。
鄧小平と松下幸之助
鄧小平は大阪にて、松下電器の創始者である松下幸之助社長と会談を行います。
その時に鄧小平は中国の古典である西遊記を交えながら「日本には多くの孫悟空がいる。たとえば、東芝の土光敏夫、新日鉄の稲山嘉寛、また貴方松下幸之助先生。」と発言して日本の経営者に対して尊敬の意を表明しています。
また、鄧小平は大阪府茨木市の松下電器のテレビ事業部を訪問します。
その時に、鄧小平は「松下さん、あなたは日本で経営の神様と言われています。中国の近代化を手伝ってくれませんか」と呼び掛け、松下幸之助は「できる限り中国の近代化に協力させていただきます」と即答します。
この時代の中国は正常不安定でしたが、松下電器が日本企業で初めての中国工場進出となり、中国の近代化と日中関係の改善に大きく貢献しました。
鄧小平の息子は?
鄧小平は3回ほど結婚しており、2人の息子と3人の娘がいます。それぞれ大きな権力を持っていますが、特に長男の鄧樸方(とうぼくほう)は特権階級にいると言われています。文化大革命中に紅衛兵の攻撃を受け、4階のビルから転落して下半身麻痺を患っています。
そのこともあって、中国障害者連盟名誉主席という肩書きを持っています。また、現在の中国については、「自分たちの力を正しく認識するべきで、優秀なフリをするべきではない」と暗に批判をしています。
まとめ
今回は鄧小平についてご紹介しました。
現代の中国を作り上げたと言っても過言ではないほど、長期的な視点を持った能力のある政治家です。
ぜひ、参考にしてみてください。
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