金門島の戦いとは?なぜ台湾領なのかをわかりやすく解説

金門島の戦いは、中華人民共和国と中華民国の間で起こった紛争のことです。

今では中国と台湾で事実上分かれており、実際に戦争が起こる確率は少なくなっています。しかし、以前は多くの被害者を出す熱戦が巻き起こったことも事実です。

金門島では、どういった戦いがあったのでしょうか?そこで今回は金門島の戦いについて詳しく解説します。

金門島の戦いとは

金門島の戦いは、大きな意味では金門島を巡って中華人民共和国と中華民国の間で1950年〜1970年の間に武力を伴う戦争と伴わない戦争が発生したことを指します。しかし、もっとピンポイントでは古寧頭戦役(こねいとうせんえき)を指します。

 

古寧頭戦役は、中華民国が金門島を守り抜いた戦いのことです。中国共産党と中国国民党は戦いの末(国共内戦)中国国民党が敗北して台湾に逃げることになります。しかし、その過程でも金門島には中国国民党軍がおり支配していました。

中国共産党は、台湾本土を攻め込んで中国国民党を倒そうとします。しかし、その前に金門島を奪還しようと考えました。これを見越して中国国民党は地雷などを設置して対策を行います。

その結果として、中国共産党の人民解放軍は罠などにひっかかりやられてしまいます。その原因として、中国側が簡単に制圧できると油断していたことや経験不足が指摘されています。2022年に発生したウクライナでの紛争に近いです。

また、結果として、中国共産党が実効支配を海まで広げることができなかったので、湾海峡の制海権、制空権は中華民国が死守しました。

金門島の戦いに参加した日本人

金門島の戦いでは日本陸軍の根本元中将などが参加しました。中華民国軍の勝利に貢献したと言われており、当時の評価は高かったのです。

しかしながら、後に中国国民党が台湾を統治する際に、自らの統治の正当性をアピールするために日本人の功績は語り継がれなくなりました。

金門島の戦いをテーマにした映画

「金門島にかける橋」は金門島の戦いをテーマにした映画です。日体共同制作の映画であり1962年に公開されました。

ちなみに、主演は石原裕次郎です。

金門島の戦いで使用された戦車

金門島の戦いで使用された戦車は、M5軽戦車です。アメリカ製であり、第二次世界大戦中に初めて使用されるようになります。ちなみに日本軍とは互角の戦いをしていました。
戦後に余ったM5軽戦車が中華民国に渡り、金門島の戦いでも使用されました。

金門島はなぜ台湾なのか

金門島は「金門島の戦い」にて中華民国が金門島を守り抜いたので、台湾領となっています。

中国国民島は中国共産党の攻撃によって、中国大陸から撤退して台湾に逃げ込みます。しかし、金門島で防衛を行ったので台湾領となっているのです。

金門砲戦との違いは?

金門砲戦は、1958年の中国が金門島に向かって砲撃したことを指します。

その直前にアメリカのアイゼンハワー大統領は1957年にアイゼンハワードクトリンを発表して、共産勢力の拡大は武力行使を行う姿勢を示しました。これは主に中東向けのものでしたが、中国共産党は金門島が具体的な範囲に入るのかどうか様子を見ようと考えました。

また、アメリカは米華相互防衛条約を中華民国と結び、台湾防衛を約束してその範囲には金門島も含まれていました。

それも含めて金門島砲撃でアメリカの出方を伺うものでした。

まとめ

今回は金門島の戦いについてご紹介しました。

金門島の戦いは中国共産党と中国国民党が争った戦争です。この戦いに勝利したことで、中華民国は実効支配する区域を失わずに済みました。

ぜひ、参考にしてみてください。

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