今回は中国のチベットについてご紹介します。
中国のチベット自治区はどういった場所なのでしょうか。また、ウイグルやモンゴルとの違いは何なのでしょうか。
中国やチベットの弾圧や侵攻・侵略など交えながらお伝えします。
中国のチベット自治区とは?
中国のチベット自治区とは、中国南西部に位置します。中国語では西藏(シーザン)と言って、最大の都市は拉薩市(ラサ)です。
ちなみにラサはチベット語で「神の土地」という言意味です。また、92%がチベット族で構成されています。
チベットの歴史をわかりやすく
7世紀のソンツェン=ガンポがチベットの原型を作る
古来より、チベット系民族は氐(てい)や羌(きょう)と呼ばれていましたが、チベット王朝が始まったのは5世紀頃です。そして、7世紀頃ソンツェン=ガンポという人物が統治していた頃に強力になり、中国から吐蕃(とはん)と呼ばれ始めます。
吐蕃(とばん)王朝が7世紀頃、チベット高原を統一して、これがきっかけで「チベット人」というアイデンティティが形成されるようになりました。
その後、吐蕃は唐と仲が悪くなりますが、ソンツェン=ガンポは唐の皇帝の娘と結婚してから両国の関係は改善します。しかし、ソンツェン=ガンポが亡くなった後は中国王朝と関係が悪化します。
16世期にダライ=ラマをトップにした宗教国家になる
13世紀にモンゴル帝国の支配を受けて、チベット人にハスパ文字を作らせてチベット仏教を保護しました。その後、明の分割統治、清朝の支配を受けます。
この頃、チベットはダライ=ラマを最高指導者にした宗教国家になります。ちなみにダライ=ラマは、16世紀のモンゴルの指導者だったアルタイ=ハーンが送った称号のことです。
そして、清朝が衰退するとインドを植民地としていたイギリス、中央アジアからはロシアがチベットに攻め込んできます。1911年には清朝が辛亥革命でなくなると、ダライ=ラマ13世をトップにしてチベットは独立を宣言します。
中華人民共和国の領土に編入
1949年には中国共産党は中華人民共和国が成立すると、「清朝が支配していたから」という理由で、チベットの領有権を主張します。
それに対してチベット人は抵抗を続けますが中国軍隊に押され、13歳のダライ=ラマ14世は北京に使徒を送り1951年に17カ条の要求を締結し中華人民共和国の領土となりました。
その後、ダライ=ラマ14世は1959年にチベット反乱を起こしチベットの独立を宣言し、これを当時インドの首相だったネルーが支持します。これが原因で1962年に中国とインドの間で紛争が起こり、インドが敗戦したのでダライ=ラマ14世はチベットへ戻れずにインドへ亡命します。
そして、ダライ=ラマ14世は1989年にノーベル平和賞を取りましたが、その後の中国によるチベットの経済開発によって中国との関係が悪くなって民族問題となっています。
中国のチベットとウイグルと内モンゴル
中国のチベットとウイグルとモンゴルの共通点と違いは以下の通りです。
- 共通点:少数民族が中心、独立思考
- 違い:民族、歴史、場所
場所や歴史、民族は異なります。それぞれ、チベット族、ウイグル族、モンゴル族ですが、どれも中国国内では少数民族となっています。
その一方で、どこも中国と関係が悪く、独立運動を行った過去があります。
つまり、中国から見れば、どこも独立を企てる危険分子として注視されているのが共通します。
中国のチベット自治区の弾圧
「中国がチベットを弾圧している」と言われているのは、以下のようなチベット政策が原因です。
- 中国語学習の推進
- 中国諜報機関によるダライ・ラマ14世の暗殺計画
- チベットにおける武器弾薬の取締り
- ダライ・ラマの後継者認定
- チベット人の拘束
特にダライ・ラマの後継者については、チベットのリーダーを決めるものなので中国だけではなくアメリカや世界の国々が関心を寄せています。
中国によるダライ・ラマの後継者認定
中国はノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世について独立を煽る危険分子という認識を示しています。
一方で、チベット仏教では「ダライ・ラマは死んだ後にこの世でまた生まれ変わるので、それに該当する少年が後継者」という考えがあります。
これを中国が逆手にとって、中国の言うことを聞きそうな男の子を後継者に任命するように仕向けるという可能性もあります。また、中国国内のことなので、その頂点の皇帝が物事を決める権利がある、つまり中国の指導者がダライ・ラマの後継者を選べるとも主張しています。
中国の動きに対して、ダライ・ラマ14世はダライ・ラマは古い制度なので、廃止するかチベットの人々の手によって民主的な手法で選ぶことを望んでいます。いずれにせよ、中国は反発するでしょう。
なぜ中国はチベットを侵攻・侵略したのか
中国がチベットを侵攻・侵略した時のポイントは以下の3つです。
- 清の時代にチベットを支配していたから
- チベットの高価な仏像を資金に変えたかった
- 朝鮮戦争中で世界がチベットから目を逸らした隙をついた
清の時代にチベットは中国の領土だったからがひとつめの理由です。ちなみに、清は漢民族の王朝ではありません。
そして、中国共産党はソ連から得た軍資金の借金を返済するためにチベットのいわゆるお宝に目をつけました。
同時に世界を見渡してみると、朝鮮半島では南北戦争が発生しており、どの国もチベットに関して関心を払っていませんでした。中国はそこをついて侵攻・侵略したのです。
まとめ
中国のチベット自治区についてご紹介しました。
チベットと中国は異なった歴史を歩んでおり、価値観も異なります。
今後、チベットが戦争の火種になるかどうか心配ですが、注視するようにしましょう。
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