台湾の歴史を簡単にわかりやすく解説!蒋介石時代など【年表付き】

今回は台湾の歴史について解説します。

日本から身近な海外旅行の土地として人気な台湾ですが、日本の統治を受けていたり、中華人民共和国と戦争寸前までいったりと大変な歴史を歩んできました。

その歴史についてクローズアップしてみましょう。

以下が簡単な歴史のまとめです。

    1. オランダ、スペインの統治
    1. 鄭成功の統治
    1. 清の統治
  1. 日本の統治
  2. 蒋介石率いる中国国民党の統治
  3. 民主化して現代の台湾へ

ポイントとしては、現代の台湾はかつて蒋介石がトップだった中国国民党が土台となっているので、現在も中華民国と呼ばれており戦後の台湾史で重要なターニングポイントにもなっています。

それでは詳しく見ていきましょう。

中国と陸続きだった古代の台湾

約1万年前、中国と台湾は陸続きでした。そこから人が移り住んだと言われています。

また、中国大陸では文明文化が発展しましたが、中国の首都から見ると台湾はとても遠い場所にあり、台湾は重要な場所とは認知されないまま古代から歴史を歩んできました。歴史学者の中には琉球と似た歴史を歩んできたと指摘する人もいます。

オランダとスペインの支配を受ける

15世紀ごろからヨーロッパ中心の大航海時代を迎えます。スペインやポルトガルといった国々がアジアに植民地を求めてやって来ました。台湾もターゲットにされ、ポルトガル人が来航して、「美しい島」という意味のポルトガル語「フォルモサ」という名前をつけます。

一方で、日本も台湾の存在を認知していて豊臣秀吉が交流を持ちかけようとしましたが、失敗しています。

そして、1624年にオランダが台湾南部、1626年にスペインが台湾北部を占領します。今でも台湾南部にオランダが建てた城、安平古堡(あんぴんこほう)が残っています。

また、台湾北部の淡水にスペインの城、紅毛城(こうもうじょう)が残っています。


漢人の鄭成功がオランダを撃破

その後、台湾を舞台にスペインとオランダの間で戦争が起こって、オランダが勝利して台湾全土を支配するようになります。一方で同時期の中国では、1644年に明王朝が滅びます。

そして、その明側の人物に中国人の父と日本人の母を持つ鄭成功(ていせいこう)という人物がいました。彼は明王朝をもう一度復興させるつもりで、戦力を補うために台湾を占領します。

その時にオランダ人勢力を一掃したとして鄭成功は英雄扱いされ、今でも台湾に銅像が立っています。


清が台湾の統治へ

鄭成功本人は台湾を抑えた後、すぐに亡くなってしまい、明王朝の次の王朝である清に降伏します。清は台湾を統治下に置きますが、清は中国人の漢民族系の王朝ではないこともあって率先して台湾を開発することはしませんでした。

また、本気ではなかった理由のひとつに疫病の蔓延がありました。当時の台湾はデング熱やマラリアなどが流行っていて衛生面がよくありませんでした。

その後、1885年に清は台湾省を置き台湾の統治を本格化させます。この背景には日本の存在がありました。実は宮古島の日本人54人が台湾で殺されるという事件が発生します。この事件を受けて日本は清に抗議するのですが、今まで清は台湾の統治に本気でなかったため、自国の責任ではないというスタンスでした。

しかし、台湾は清の領土であったため、一歩間違えれば国際的な大問題に発展します。後のことを考えて台湾の統治を本格化させたのです。

1874年に宮古島の日本人54人が台湾で殺されます。そして、事件の対処に乗り気でない清の様子を見た、日本の明治政府は事件解決を台湾に向けて軍を派遣しました。これが台湾出兵です。

そのときのトップが西郷隆盛の弟、西郷従道で約3,000人の兵士を率いて台湾に行き、台湾の先住民族であるパイワン族と戦いました。

結果として、清は被害者に見舞金を支払うことになりましたが、日本側も多数の兵士がマラリアなどの疫病にかかりました。

台湾人は日本人だった?日本の統治時代

1894年に朝鮮半島を支配したい清と日本の間で日清戦争が起こります。清が敗れ下関条約で台湾が日本の領土になるのでした。日本の統治が始まったころ、台湾の現地人と日本人とで争いが耐えず起こります。日本は台湾に対して軍事行動に出て鎮圧していましたが争いは収まりませんでした。

そして、1898年に台湾総督府に児玉源太郎が就任し、民政長官に有名な後藤新平が就任します。

この頃から台湾の統治方法も変わり、日本との同化政策を進めるのではなく、徹底した分業、つまり、「農業は台湾で行って工業は日本で行う」というスタンスで台湾の発展を目論見ました。この統治方法をイギリス型の特別統治主義ともいいます。

農業にシフトした台湾は必要なインフラも揃えていきます。また、生活に必要な下水道や義務教育なども導入して近代化に向かいます。

 

しかし、それでも日本と台湾で争いが耐えなかったため、日本政府はフランス型の内地延長主義という植民地政策をとります。これは台湾人と日本人を分けて考えるのではなく、同じ日本人だという考えのもとに国を運営する方針です。

最初は日本人と同じ権利を有するだけに留まっていましたが、後に「台湾人も同じ日本人」という考えに変わっていきます。一方で、台湾独自の文化などは抑圧されるなど負の側面もありました。

日本語教育の奨励や日本人名の命名など日本の政策が推し進められ、特に日本が敗戦した太平洋戦争では約21万人の台湾人兵士が日本兵として参加して3万人が亡くなりました。

そして、太平洋戦争に日本が破れて1945年に日本の統治が終了します。

 

結果として、1895年から1945年までおよそ50年間ほど日本の統治が行われるのでした。

中国から来た、蒋介石率いる中国国民党が台湾を統治

台湾は日本の統治が終了した後、中華民国として中国国民党の統治下に入ります。厳密には日本の敗戦直後、中国大陸では中国共産党と中国国民党という二大政党が内戦をしていました。1946年6月から1949年12月まで続いた国共内戦です。

最初、中国国民党は優勢だったのですが、中国共産党はソ連の助けを借りて中国国民党を一掃します。敗れた国民党は台湾に逃れて台湾を支配します。その時に中国国民党のトップだったのが蒋介石という人物です。

 

中国国民党が台湾を統治し始めたころは、日本の統治時代よりひどいものでした。暴行事件や強盗事件が多発し、台湾に住んでいた人は「本省人」と呼ばれて国の政治に関与できないようにされます。

これに反発した台湾人たちが国民党政府を倒すためにへ立ち上がりますが、蒋介石は弾圧し数万人を処刑します。これを二・二八事件と呼びます。

 

また、中国国民党の人たちは台湾の文明に驚いたといいます。水道の蛇口をひねって水が出ることに驚いたくらいです。

それを見た台湾人たちは、「犬が去って豚が来た」という有名な言葉を残しています。犬は日本人のことで口うるさいけどきちんとやることはやることを意味する一方で、豚は中国国民党のことで吠えるだけで何もやらないということを揶揄しています。

冷戦下の台湾は大国だった?

その後、蒋介石をトップにした台湾は開発独裁の政治を続けます。特に空港や道路などのインフラ整備を進め台湾の重工業を発展させました。この背景には中国共産党への恐怖があり、いつ攻めてくるかわからないので国防能力を優先的に高めていました。

その一方で、蒋介石側もチャンスがあれば中国大陸に進攻するという気持ちを捨てていませんでした。

 

蒋介石が統治していたころにも何度か中国と台湾の間で戦争になりかけます。これを台湾海峡危機と呼びます。中国に近い台湾の土地である金門島が砲撃されるなど紛争になりました。しかし、アメリカの介入などもあって全面戦争にはなりませんでした。

それからずっと中国共産党と中国国民党はにらみ合いを続けていましたが、同時期の世界はソ連とアメリカを巻き込む冷戦となっていました。特にアメリカとソ連の間ではいつ核戦争が起こってもおかしくない状況でした。

その国際状況の中で中国国民党つまり中華民国の台湾は、国際連合の常任理事国として国際社会で強い存在感を保っていました。

 

また、1970年ごろ、中国大陸の中国共産党とソ連の間では領土紛争も起こり関係は悪化しており、アメリカはベトナム戦争に負けた事実から立て直しを行うため中国に近づきます。中国側も仲の悪いソ連を牽制できて両国の思惑が一致し、米中が国交樹立をします。

正当な中国と見なされなかった中華民国の台湾は国連から離脱しアメリカと国交断交します。

民主化をして現代の台湾へ

台湾のトップも蒋介石から息子の蒋経国に変わり台湾の民主化の機運も高まっていました。蒋経国の死後、トップに立ったのが2020年に死亡した李登輝です。元日本人だった李登輝は1996年に台湾ではじめての選挙を実施しトップの総統を選びました。

その結果、李登輝本人が選出されました。李登輝は台湾の民主化を作ったので、現代でも台湾民主化の父として人気があるのです。

そして、4年に1度、総選挙を行うようになり、今日の台湾につながっています。日本とは違って台湾では中国との距離感というのが選挙の論点になります。ちなみに、蒋介石が率いていた中国国民党は現在も台湾の中国国民党(中國國民黨)として残っています。

また、日本やアメリカと台湾は国交を断交した状態が続いていますが、民間での交流は盛んです。

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ちなみに現在、台湾では日本でいう元号のような独自の暦が使われています。それが1912年の中華民国の建国から何年目に当たるのか数えた民国起源というもので、2011年は民国100年でした。

まとめ

年表
1544年 ポルトガル船員が台湾を「フォルモサ」と呼ぶ
1593年 豊臣秀吉が台湾に入貢を試みる
1624年 オランダが台湾南部支配
1626年 スペインが台湾北部を支配
1642年 オランダがスペインを追放し全土を支配
1661年 鄭成功がオランダを追放。
1683年 鄭成功政権崩壊
1684年 清が台湾を統治
1871年 牡丹社事件が発生して、台湾現地民に日本人54人が殺される
1885年 清が台湾省を設置して統治
1895年 日清戦争後の下関条約で台湾が日本領土へ
1945年 日本が敗戦し台湾が中華民国になる
1947年 二・二八事件発生
1972年 日中国交正常化、日台国交断絶
1979年 米中国交正常化
1988年 李登輝が総統へ
1996年 初の総統選実施、李登輝が当選

今回は台湾の歴史について簡単にわかりやすくご説明しました。1度は西洋から侵略を受け清にも見放された台湾ですが、日本が近代化を推し進め発展します。しかし、中国国民党の支配を受けながらも民主化を進めて今日の台湾につながっているのです。

ぜひこの記事を参考にしてみてください。

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