北方領土問題は、日本とロシアの間で北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)がどちらに帰属するのか争っている問題です。
日本とロシアが双方に違う主張をしていますが、難しくてよく分かりませんよね。
そこで今回は北方領土とはどういったところなのか、日本とロシアのそれぞれの主張を詳しくみてみましょう。
北方領土とは
北方領土(英語:the Northern Territories)とは、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)のことを指します。現在はロシアが実効支配しています。
地図上でどこにあるかというと、こちらです。

それぞれの島の呼び方や面積、新旧の人口は以下の通りです。
島の名前 | 面積 | 昭和20年の人口 | 2018年現在の人口 |
---|---|---|---|
択捉島(えとろふとう) | 3,168 ㎢(鳥取県程度) | 3,608人 | 6,409人 |
国後島(くなしりとう) | 1,490 ㎢(沖縄本島程度) | 7,364人 | 8,531人 |
色丹島(しこたんとう) | 251 ㎢(島根県隠岐本島程度) | 1,038人 | 3.070人 |
歯舞群島(はばまいしょとう) | 95 ㎢(小笠原諸島程度) | 5,281人 | なし |
「えっと(択捉島)お尻(国後島)を振って、しこたま (色丹島) 舞おう (歯舞群島)」という覚え方が一般的ですね。
また、北海道には、北方領土方向を向いたライブカメラが設置されています。根室から3.7kmなので時間帯によって見えるかもしれません。
北方領土には自然がいっぱい
北方領土には自然がたくさんです。
たとえば、以下のような動物たちが生息しています。
- ヒグマ
- キタキツネ
- アザラシ
- ラッコ
- イルカ
- エトピリカ
- シマフクロウ
- オジロワシ
また、北方領土問題対策協会のホームページには、戦前から現在までの北方領土の写真が公開されています。
もし、北方領土の暮らしや自然などを詳しく知りたい場合は、根室市北方領土資料館もおすすめです。
〒087-0165
北海道根室市納沙布33番地2
電話番号・ファックス:0153-28-2445
北方領土はビザなしで観光渡航できるの?
北方領土は、ビザなしで気軽に行くことはできませんが、ビザなし交流という日露間の交流があります。
これは1992年に、ロシア側から日本国民と北方四島在住のソ連人との交流の拡大を目的に提案され、以後定期的に行われています。
ちなみに、日本の主張上、日本の領土ですがロシアが実効支配しているため、本来ならばビザが必要です。
しかし、日本人がビザを取得して北方領土を訪れると、ロシアが実効支配していることを認めることになるので、日本政府は日本国民に対して北方領土にビザを取って行かないようにしています。
北方領土問題の歴史
きっかけは第二次世界大戦
日本は古くから北方四島の存在を知って統治していました。そして、1855年に日魯通好条約を日露間で結びました。この時、両国間で北方領土が日本に帰属することが確認されました。
その後は日本人が住んで普通に生活していました。
問題が起こったのは、第二次世界大戦後です。日本と当時のソ連は日ソ中立条約を結んでいたので直接戦うことはありませんでした。しかし、ソ連がこれを破って1945年8月8日に侵攻してきます。
そして、日本がポツダム宣言に署名した後もソ連軍は侵攻してきて、9月3日までにソ連が北方領土を占領しました。
サンフランシスコ平和条約の問題
1951年9月に日本はサンフランシスコ平和条約に署名して、樺太の一部と千島列島に対する全ての権利や請求権放棄する一方で主権を回復します。
しかし、ソ連は中国が内戦状態だったことに加えて、米軍が日本に駐留していたので条約の調印を拒否します。調印すればすぐ隣にアメリカ軍が来ることになります。
結果として、1965年に日ソ共同宣言で国交を回復しますが平和条約の締結には至っていません。
また、サンフランシスコ平和条約には「千島列島」がどこからどこまでか明記されておらず曖昧な点も、北方領土問題をややこしくされている原因のひとつだと言われています。
日本の北方領土問題の対策
日本は北方領土を取り戻すため、北方4島がどこに帰属するのか明確にして平和条約を締結するというスタンスです。
千島列島と北緯 50 度以南の南樺太を放棄したサンフランシスコ条約に署名していないので、北方領土がどこに帰属するのか曖昧なままです。
また、第二次世界大戦後の処理方針、ポツダム宣言では領土不拡大を宣言しているのに北方領土の占拠は不当だと主張しています。
そして、1956年の日ソ共同宣言で、戦争状態が終わって国交が回復しました。日ソ共同宣言では、国後島と択捉島を日本に引き渡すことが明言されましたが、4島返還を求める日本の世論は反発しました。
安倍政権では、現実的な2島返還を目標にロシアとの交渉を行っていましたが、成果を残せませんでした。
北方領土で生まれ育った人は、すでに80歳を超えています。そのため、1日も早く故郷が取り戻すことが大切です。
北方領土に対するロシアの主張
ロシアは北方領土は第二次世界大戦の結果、獲得した領土だという考えであり、日本の領有権主張には根拠がないという主張をしています。
日本が主張する国境線は幾度か変更されており、第二次世界大戦の結果が最終的なものだと言うのです。
また、その背景にはイギリスとアメリカもいて、ソ連の対日参戦が決まるヤルタ協定にて、3カ国は「千島列島をソ連に引き渡す」という条件で合意していました。
そして、日本が「2島返還」の根拠にしている1956年の日ソ共同宣言については、「日本が北方領土は自国の領土である」という主張を貫くならば、「ロシアから返還」というのはおかしいという立場をとっています。
ちなみに、条約では「(もとあったところへ)返還」ではなく「(誰かから何かを)引き渡す」という表現が使われています。
日本の北方領土に対するPR
北方領土の日と北方領土返還運動
2月7日が北方領土の日です。1855年のこの日に、日魯通好条約が調印されたので2月7日が北方領土の日になりました。
ちなみに、この日に「北方領土返還要求全国大会」が東京で開催されます。
また、ポスターのコンテストも開催されます。この他にも官民それぞれの北方領土返還運動が行われています。
エリカちゃん
日本政府は北方領土のイメージキャラクターであるエリカちゃんをつくって北方領土のPRを行っています。

ちなみに、アイヌ語で「くちばし(etu)が美しい(pirka)」という意味の鳥、エトピリカが由来になっています。
ぬいぐるんみなどのグッズは販売されておらず、たまにプレゼントされています。
残念ながら、ぬいぐるみは販売していないピィ。
— 北方領土エリカちゃん (@hoppou_erika) April 2, 2018
まとめ
今回は北方領土についてご紹介しました。
第二次世界大戦に対する考え方の違いと、日本とロシアの間で北方領土がどちらに帰属するかはっきりしていないのが問題です。
ぜひ、こちたの記事を参考にして北方領土問題について関心を深めてみましょう。
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