中東戦争は4度にわたる大きな戦争です。
それぞれ何が違い、どういった経緯で発生したのでしょうか。簡単にわかりやすく解説します。
中東戦争とは
中東戦争とは、アラブ諸国とイスラエルの間で起こった紛争のことです。
四度ほど発生しており、それぞれ戦争の内容や原因が異なっています。
- 第一次中東戦争(1948年〜1949年)ユダヤ人のイスラエルの建国
- 第二次中東戦争(1956年〜1957年)エジプトのスエズ運河国有化
- 第三次中東戦争(1967年)イスラエルのエジプト侵攻
- 第四次中東戦争(1973年)エジプトとシリアのイスラエル侵攻
それぞれ順番に解説します。
イスラエル建国から始まった第一次中東戦争
第一次中東戦争は1948年にイスラエルが建国され、それに不満を持ったアラブの国との衝突で始まりました。
イスラエル建国はユダヤ人の夢
1948年にユダヤ人のイスラエルが建国されます。
ユダヤ人は紀元前にエルサレム(現イスラエル)周辺に王国を築いていましたが、ローマ帝国に滅ぼされて以後はヨーロッパに散らばります。
ユダヤ人はユダヤ教徒と呼ばれる神ヤハウェを唯一神として信仰し旧約聖書を信じる人々です。そして、キリスト教の社会からはずっと迫害され続けてきます。また、神ヤハウエは「パレスチナを子孫に与える」と約束しました。
その言葉がもとになって、ユダヤ人がエルサレムに建国しようと考えていたのです。
イギリスの三枚舌外交
イギリスは以下のような三枚舌外交を展開しました。
- アラブ人にアラブの独立国家建国を約束(マクマホン書簡)
- ユダヤ人にナショナル・ホーム設立を支持(バルフォア宣言)
- フランスとイギリスで領土を分け合う条約を結ぶ(サイクス・ピコ協定)
イギリスは、イスラム教の創始者ムハンマドの子孫であるフセインと「東アラブ地方にアラブ国家を作る」と約束します。
また、イギリスはイギリス寄りの国家を作って利益をえようと考え、パレスチナにユダヤ人のナショナル・ホーム設立を支持を表明します。
一方で、イギリスとフランスで、第一次世界大戦後のオスマントルコ領土を分け合おうと考えてサイクス・ピコ協定を結びました。
その結果、アラブ人の国家建設はフランス軍が阻止して、イギリスはトランス・ヨルダンという国家の建設を認めました。これでヨルダン川の西側がパレスチナになりました。
イスラエルが勝利するも火種は残る
イギリスは第二次世界大戦後、中東問題を扱うほど体力がなくなり国連に任せます。
国連は1947年にパレスチナの56%をユダヤ人国家、43%をアラブ人、国家エルサレムを国際管理地区にすることを決めます。
ユダヤ人の人口を考えると、この比率はユダヤ人に有利でした。そして、この国連決議を根拠にイスラエルが独立宣言をします。
これを受けて、不満を持ったアラブ連盟5カ国(イラク、エジプト、シリア、トランスヨルダン、レバノン)はイスラエルに侵攻します。
その結果、イスラエルが大反撃して勝利します。イスラエルはパレスチナの8割の領土を獲得しますが、ユダヤの聖地である嘆きの壁のあるエルサレムは手に入りませんでした。また、この戦争で居場所を失ったパレスチナ難民が発生します。
エジプトのスエズ運河国有化から始まる第二次中東戦争
1956年にエジプトがスエズ運河国有化を宣言します。これがきっかけで第二次中東戦争が始まります。
資金に困ったエジプトとスエズ運河の利権を譲らぬイギリス
エジプトはナイル川にアスワン=ハイダムを作り、電力確保を試みます。しかし、資金繰りに困ったので、スエズ運河を使って資金を調達しようと考えました。イギリスはスエズ運河会社の株の大半を持っていたので反発します。
そこで、イギリスはエジプトと対立していたフランスやイスラエルと共にエジプトに侵攻しました。そのため、スエズ紛争とも言われます。
しかし、アメリカはイギリスの味方につかずに米ソの働きかけによって国連の安保理を通して、三カ国の軍隊を撤退させます。
その結果、エジプトはスエズ運河の国有化を成功させるのでした。
イスラエルが領土拡大した第三次中東戦争
イスラエルの大勝利となった
第三次中東戦争は、1967年にイスラエルのエジプト侵攻で始まります。この戦争は6日間でイスラエルが圧勝したので、「六日間戦争」とも呼ばれます。
エジプトやシリアがイスラエルへの軍事的圧力を強めていることに反発したイスラエルが、エジプトに先制攻撃しました。初日にエジプト空軍機を壊滅状態に追い込みます。そして、イスラエルは以下の地域を占領します。
- エジプト領のシナイ半島とガザ地区
- ヨルダン領の東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区
- シリア領のゴラン高原
また、イスラエルはヨルダン川西岸とガザ地区を手に入れたので、国連の「パレスチナ分割案」のパレスチナ全域を手に納めました。また、ユダヤ教の聖地である嘆きの壁も手に入れたことになります。
イスラエルはさらに国連決議を無視してユダヤ人の入植を進めます。そのため、土地を追われたパレスチナ難民が大量に発生しました。
奇襲を仕掛けられた第四次中東戦争
第四次中東戦争は1973年にエジプトとシリアのイスラエル侵攻から始まります。
第三次中東戦争では、イスラエルの勝利で終わりましたが、エジプトやシリアは黙っておらず領土を取り返そうと考えていました。そして、エジプトとシリアはイスラエルを奇襲攻撃します。
また、1973年10月6日はユダヤ人は断食をして外出しない「贖罪の日」でした。それを狙って奇襲をかけたので、アラブ諸国が有利になります。しかし、時間が経ってイスラエルは反撃をして勢力を取り戻します。
結果的にアメリカが停戦を提案して1ヶ月後に停戦に至りました。
オイルショックで石油が武器になった
アラブ諸国は親イスラエル諸国に対して石油輸出を停止するという戦略を取りました。
1968年にアラブ諸国は産油国でアラブ石油輸出国機構(OAPEC)も結成しており、産油国の組織である石油輸出国機構(OPEC)は4倍にする声明を発表して世界の石油価格が上昇することになりました。
日本では、オイルショックとなりトイレットペーパーを買い占める人が多発しました。
イスラエルとエジプトが和平実現したのに泥沼化
1977年にエジプトとイスラエルは和平交渉に入り、78年にエジプト=イスラエルの和平が実現します。
ここまで至ったのは、エジプトの内政が関係しています。
第四次中東戦争では、イスラエルの反撃でエジプトはシナイ半島の領土奪還がすぐにできませんでした。また、戦争で財政が圧迫したのでアメリカの資本を借りて国を立て直そうとします。
しかし、イスラエルと敵対していると親イスラエルのアメリカから支援を得られないので、方向転換を狙いました。
その後、中東はエジプトとイスラエルの対立ではなく、パレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルの対立に移ります。パレスチナ解放機構(PLO)とは、イスラエルによって奪われた土地を奪い返すために1964年にできたアラブ人の組織です。
PLOがテロやゲリラ活動を繰り返して治安は悪化します、また、和平交渉にあたったエジプトのサダト大統領が1981年に暗殺、1995年にイスラエルのラビン首相が暗殺されて再び中東は混乱状態に向かうのでした。
中東戦争が発生すると日本への影響は?
中東戦争が発生した場合、日本にとって様々な影響が考えられます。主な影響は以下のようなものです。
- エネルギー供給の不安定化
- 経済への影響
- 外交・安全保障の変化
では、順を追って説明します。
エネルギー供給の不安定化
中東地域は世界の主要な石油供給地であり、日本のエネルギー供給の大部分を依存しています。
中東戦争が発生すると、原油価格が急騰し、石油供給が不安定になる可能性があります。これは日本国内のエネルギー価格の上昇を引き起こし、企業や家庭のエネルギーコストに大きな影響を与えます。
経済への影響
エネルギー供給の不安定化に伴い、経済にも深刻な影響が及びます。
原油価格の上昇は輸送コストの増加を招き、商品価格の上昇を引き起こします。これによりインフレーションが進み、消費者の購買力が低下し、景気の停滞が懸念されます。
さらに、日本の製造業もエネルギーコストの増加により生産コストが上昇し、国際競争力が低下する可能性があります。
外交・安全保障の変化
中東戦争が発生すると、日本はエネルギー供給の多様化を図る必要に迫られます。
また、中東地域への依存度を下げるため、他の産油国やエネルギー資源を求めて新たな外交関係を構築する必要があります。さらに、安全保障面でも、戦争による国際情勢の変化に対応するため、日本の防衛政策や国際協力の方針に影響を及ぼす可能性があります。
まとめ
今回は中東戦争についてご紹介しました。
4度にわたる中東戦争は全て発生の原因や結果は異なっています。しかし、イスラエルとエジプトが中心になって情勢が動いていたのが分かりますね。
ただ、両国は和平に至っても、紛争やテロなど問題が解決することはありませんでした。
ぜひ、参考にしてみてください。
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