イスラエルとパレスチナの対立は、イスラエルの建国によって中東戦争が始まって以降争いを繰り返してきました。
アラブとユダヤの民族、宗教対立に加えてアメリカの介入などさまざまな問題が絡み合っています。
そこで今回は中東を動かすパレスチナ問題とは何か時系列とともに説明して、日本ができることと解決策をわかりやすくご説明します。
パレスチナ問題とは?わかりやすく理解
パレスチナ問題とは、パレスチナの土地を巡ってイスラエル人とパレスチナに住むアラブ人との間で起こっている闘争です。
この闘争で土地を追い出されたパレスチナ難民が多く発生しました。
近代の問題の原因はイギリスが作った
パレスチナは第一次世界大戦までオスマン帝国(現在のトルコ)が統治していて、アラブ人が住んでいました。イギリスは第一次世界大戦中にアラブ人の国家を作ると約束します。これがフセイン・マクマホン協定です。
一方で、アメリカとイギリスの政府は中東の石油資源を確保したいのと、ユダヤ人の富豪の意向によってユダヤ人の国家を建国することを約束していました。それでイギリスはバルフォア宣言で、ユダヤ人に国家を作ると宣言します。
その結果、イスラエルが1948年に建国されてアラブ人は「話が違う」となり、現在のパレスチナ問題が発生します。
もともとの歴史を追って詳しく見てみましょう。
ユダヤ人迫害の歴史
ユダヤ人は3000年前、現在のイスラエルの場所に自分の国家を持っていましたが、ローマ帝国によって紀元前135年に滅ぼされました。そして、ユダヤ人は世界各地にディアスポラとなって散らばります。それからユダヤ人は偏見や差別、迫害に遭います。
近年でも第二次世界大戦下のナチス・ドイツは約600万人のユダヤ人がホロコーストとして虐殺されました。ヨーロッパはキリスト教の社会であり、ユダヤ人はイエス・キリストを神の子だと認めませんでした。
そのため、多数を占めるキリスト教とから差別を受けておりナチス・ドイツはこの感情を政治利用して、自らの支持率に変えました。
そして、迫害を受けたユダヤ人達は第一次世界大戦頃までは当時アラブ人の住んでいたパレスチナに戻ってきていました。
しかし、その後イギリスが3枚舌外交をして、問題がややこしくなったのです。また、ユダヤ人たちは自分たちの国家を持とうと活動を続けます。
中東戦争で現代の問題が作られた
イスラエルが建国されたことによって、中東戦争が発生します。この中東戦争は4回ほどありましたが、1947年の国連分割決議案と1967年の第三次中東戦争が大きな中東問題の要因となっています。
1947年に国連総会は「パレスチナを分割して、ユダヤ人とパレスチナ人の2つの国家を建国して、エルサレムは国際管理下に置く」という決議案を出します。
この決議案は、パレスチナの人口の約3分の1にしか満たないユダヤ人にパレスチナの56.6%を与えるという、ユダヤ人にとって有利なものでした。
しかし、この国連の決議案をもとにしてイスラエルが建国されます。当然、これに反発したアラブ人たちと衝突して第一次中東戦争になるのでした。
1967年に発生した第三次中東戦争はイスラエルがエジプトの軍拡を恐れて先制攻撃したことから始まります。この戦争では、イスラエルがエジプト領のシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン領の東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区、シリア領のゴラン高原を占領します。
そして、この戦争の結果、ユダヤ人の入植が進んで多くのパレスチナ難民が発生します。また、1967年にイスラエルの占領は無効とする決議が可決されましたが、イスラエルはこれを無視して現在もこの時に占領した地区の一部の支配を続けています。
中東戦争後はパレスチナ解放機構が台頭
1964年にエジプトのナセルなどの支援で結成されたのが、パレスチナ解放機構(PLO)です。パレスチナのアラブ人の解放を目指す組織で、70年代から80年代にかけてアラファト議長のもとで何度もゲリラ活動を行いました。
一方、その頃の中東情勢は1979年、エジプトは「イスラエルを国家として認める」という決断をします。中東戦争で争ってきた2カ国ですが、エジプトの財政問題でアメリカの助けを得るために、アメリカと親しいイスラエルと仲良くするのでした。
そして、イランではイスラム革命が起こり国王が追放され、自国に飛び火を遅れたイラクとは、イラン・イラク戦争が始まります。そのため、アラブ諸国は連携が取れなくなりました。
その代わりに、非国家組織であるパレスチナ解放機構がイスラエルと敵対するようになります。
インティファーダと湾岸戦争で状況が変わる
1990年、イラク軍は石油資源を求めてクウェートに侵攻します。これがきっかけで湾岸戦争が始まりました。イラクはクウェート撤退の条件を「イスラエルがパレスチナ占領地から撤退すること」を掲げます。
そして、この方針をパレスチナ解放機構は支持しますが、パレスチナ解放機構の資金援助国はクウェートやサウジアラビアでした。そのため、これらの国を敵に回してしまいパレスチナ解放機構は困窮します。
また、湾岸戦争の少し前にイスラエル占領下のガザ地区でパレスチナ住民の抵抗運動であるインティファーダ(大衆蜂起)が起こります。武装したイスラエル軍に子供達が石を投げて抵抗します。
「残忍なイスラエル軍」の姿を国際社会が知ったのと同時に、イラクが「イスラエルがパレスチナ占領地から撤退すること」を発信したことで、イスラエルに対して疑問を持つ声が多くなりました。
そして、困窮したパレスチナ解放機構と手詰まりのイスラエルは状況を打開するために歩み寄ります。
オスロ合意でパレスチナ暫定自治行政府成立
1993年にアメリカのクリントン大統領のもとで、イスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長が握手を交わして、「イスラエルがパレスチナから撤退してパレスチナ住民の自治を認める」と発表します。これが「オスロ合意」です。
それからパレスチナでは、1996年に選挙が行われてパレスチナ統治機構議長にアラファトが選ばれます。しかし、実際にはアラファトの独裁体制でした。
これに対してイスラム原理主義のムスリム同胞団の流れを組むハマスが、アラファトのやり方を否定してイスラエルの消滅を掲げて民衆の支持を得るようになります。
2000年代に再びイスラエルとパレスチナは分断
2000年頃からパレスチナではハマスが台頭する一方で、アラブ諸国では湾岸戦争時のアメリカ軍進駐に反発が高まります。
また、2001年にイスラエルではシャロン政権が樹立されます。シャロンは2000年にエルサレムのイスラム教徒が管理する神殿の丘に立ち入って、パレスチナ人の反発を買った人物です。また、この一件では武力衝突が起こり、パレスチナで自爆攻撃も発生しています。
シャロン政権では、パレスチナに対して武力行使を行い非武装市民が数多く死亡しました。
また、パレスチナでは2004年にアラファト議長が死亡してから穏健派のマフムード・アッバスが後継者となりましたが、2006年の選挙ではハマスが過半数を獲得します。ハマスのスマイル・ハニヤが首相になるのでした。
そして、アッバスのファタハとハニヤのハマスが対立して内戦状態になります。ヨルダン川西岸がファタハ、ガザ地区がハマスの統治となりパレスチナは分裂します。
その後、2009年にはイスラエルでは最も強硬派のネタニヤフが政権を握って、イスラエルとパレスチナの分断はさらに深まるのでした。
パレスチナ問題の解決策は?
パレスチナ問題の解決策は、イスラエルとパレスチナが共存する「二国家解決」です。
ヨルダン川西岸、ガザ地区、ゴラン高原などイスラエルが占領した土地をパレスチナ人を含むアラブ側に返還して和平をもたらすことです。これは2009年6月にアメリカのオバマ大統領が演説で二国家の共存が現実的な解決策だと発言しました。
しかし、現実はパレスチナ側はイスラエルの国家を認めず、イスラエルはパレスチナの国家を認めないという、どちらか相手を抹殺するまで戦いがエスカレートする可能性が高いです。
この現状をどう変えて、二国家解決にアプローチするかにかかっています。
パレスチナ問題と日本の立場
中東問題に関して、日本は「中東は不安定な地域」と認識しています。しかし、一方で主要なエネルギー源でもあり、中東の不安定化は国際社会の安定と反映に影響を与えています。
経済産業省によると日本は石油の85%中東から輸入しているので、中東が不安定化するとエネルギーが止まる恐れがあります。
また、日本はイスラエルとともに共存共栄するパレスチナ国家を建設する「二国家解決」を望んでいます。
日本ができることは?
外務省によると、1993年のオスロ合意以降、日本は以下のような貢献を行っています。
- 1990年代の多国間協議への参加
- 総理大臣、外務大臣、中東和平担当特使のイスラエル及びパレスチナ自治区訪問
- 1996年来の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)への自衛隊員派遣
- 総額約10億ドル以上の対パレスチナ支援実施
最近では以下の取り組みを行っています。
- オルメルト・イスラエル首相(当時)の訪日(2008年2月)や、中東和平担当特使による関係国への働きかけ等の政治的働きかけ
- 2009年3月のガザ復興支援国際会議で拠出を表明した当面2億ドルの実施等の対パレスチナ支援
- 信頼醸成会議(2008年10月に第4回を実施)、イスラエル・パレスチナ合同青年招聘、外交官招聘等の当事者の間の信頼醸成に向けた取組
- 「平和と繁栄の回廊」構想の推進等の中東和平プロセスの前進に向けた政治的・経済的な取組
まとめ
パレスチナ問題はイギリスの外交が元となって、イスラエルが建国されたことから一気に加速しました。何度かの中東戦争を経て、和平の兆しがありましたがまた争いが繰り返されています。
まずはこの現状をしっかりと理解して、何ができるのか考えることが大切ですね。
ぜひ、参考にしてみてください。
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