文化大革命とは?わかりやすく説明!紅衛兵や破壊された物は?

現代中国を語る上で欠かせないのが文化大革命と言われています。

では文化大革命とは何で、原因は何だったのでしょうか?また、四人組や紅衛兵とは一体何者だったのでしょうか?

そこで今回は文化大革命について簡単にわかりやすく解説します。

文化大革命とは?世界史でも頻出なできごと

文化大革命(プロレタリア文化大革命、英語訳:Cultual Revolution)とは、中国で1966年から1976年まで続いた、中国の建国者である毛沢東(もうたくとう)が起こした政治の奪権利運動です。

鉄鋼業に力を入れる大躍進政策が失敗して、指導者の毛沢東は政治権力を失います。

そこで毛沢東の敵対勢力を民衆の暴動によって引きずり下ろしたのが文化大革命です。

文化大革命の死者数はどれくらい?

文化大革命の死者数は2000万人以上と言われています。日本の人口がおよそ1億2000万人なので、日本で言うと20%に近い人が亡くなった計算になります。

また、大量虐殺によって亡くなった人もたくさんいる一方で、人肉を食べる共食い事件も発生しました。

文化大革命の原因は?

文化大革命は大躍進政策の失敗が原因で発生しました。

つまり、一連の歴史の流れの中で発生したので歴史の流れを見てどうして起こったのか理解しなければなりません。

では、大躍進政策とは何だったのでしょうか。

大躍進政策

大躍進政策は、鉄鋼などの生産の増強を目標にし、工業は外国に頼らないで中国の力だけで発展しようとさせる政策です。

具体的には、鉄を作る溶鉱炉(ようこうろ)を数多く作り鉄鋼の増産を試みました。鉄を作るには、鉄くずが必要なので国民総出で鉄くずを集めた結果、農業が停滞して大飢饉が発生しました。

 

また、農作物の栽培道具から鉄を取って溶かしたり、燃料確保のために中国の木が切り倒されたりしました。その結果、農作物がとれなくなり、洪水など自然災害も発生します。

大躍進政策の結果、数千万人の餓死者が出ました。

それから、大躍進政策の失敗でリーダーとしての信頼性を失った毛沢東は、もう一度トップに返り咲くために1966年に文化大革命を起こすのです。

文化大革命を主導した人物

文化大革命で運動の主体となったのは、毛沢東以外に以下のような人物がいます。

  • 四人組:文化大革命の主導者(江青、張春橋、姚文元、王洪文)
  • 紅衛兵:毛沢東の熱狂的支持者であった学生や大衆

それぞれ見てみましょう。

指導者は四人組

四人組とは、文化大革命を主導した人たちです。

  • 江青(こうせい)※毛沢東の夫人
  • 張春橋(ちょうしゅんきょう)
  • 姚文元(ようぶんげん)
  • 王洪文(おうこうぶん)

「海瑞免官(かいずいひかん)」という毛沢東を批判する戯曲が1961年に発表され、1965年に四人組たちがそれを避難し返して、1966年の文化大革命に突入します。文化大革命でhは、毛沢東を神格化して、紅衛兵を扇動しました。

その後、毛沢東の後継者候補であった林彪(りんぴょう)が飛行機の墜落事故でなくなり、四人組は権力を握るようになります。1973年には4人が中央政治局委員となりました。

そして、四人組と対立していた周恩来(しゅうおんらい)が1976年に亡くなったことがきっかけで、周恩来を支持する人たちによって第一次天安門事件が起こります。四人組は権力闘争を続けますが、結局、支配力を維持することができずに1976年10月に逮捕されます。

現場で動いた紅衛兵とは?

紅衛兵は毛沢東を熱狂的に支持していた青年たちのことです。最初は中国の名門大学である、清華大学の学生によって結成されましたが、その後、全国の学生に広まりました。

また、彼らは「造反有理(ぞうはんゆうり:反乱には意味がある)」をスローガンにしていました。

紅衛兵は旧思想や文化を徹底的に否定して、文化財や書物を破壊しました。その後、内部で指揮が上手くされておらず、まとまりませんでした。1967年には3・7指示を出して学園復帰を命じられ、下放(かほう)されて地方の農村へ追放されます。

紅衛兵はなぜ運動に参加したか

毛沢東が国を動かしていた時、党の幹部や技術者たちは豊かでしたが、普通の市民は貧乏で貧富の差が存在していました。一方で共産党の中には劉少奇(りしょうき)のような、資本主義を部分的に取り入れて貧富の差をなくそうと考えていた人がいました。

一方で、紅衛兵は、毛沢東の考えを教育として教えられていました。つまり、社会主義的な思想を植え付けられていて、貧富の差を嫌っていました。

しかし、紅衛兵たちにとって社会主義思想のリーダーは毛沢東です。毛沢東はこれを利用して、国民に向かって「資本主義の流れを作る思想や人々を打倒せよ」と呼びかけます。これに呼応するように、社会主義思想を持った紅衛兵たちが文化大革命を起こすことになります。

紅衛兵のその後と現在

紅衛兵は毛沢東こそが全てで、毛沢東に関して批判的な態度を取る人たちを反乱分子と罵って、中には両親や兄弟に暴力を加える人もいました。こうした環境の中で育ったので、その後の人格形成にも影響があります。

また、運動へ参加したり、農村へ追放されたりして教育を受けれられなかった人もいました。

そういった人が現在の中国の社会を動かしている年齢になっています。

 

また、一方で、高齢になってから紅衛兵時代に自分が何をしたか告白する人もいます。たとえば、両親が毛沢東を批判したことを政府に通報して、そのまま両親と会えなくなった紅衛兵もいて、当時のことを悔やんでいるといいます。

現在でも、紅衛兵は心の闇を抱えながら生きています。

現代の日本での反応

なんjでは書き込みが相次ぐ

あまりにも現実離れしていることなので、ネットの掲示板などで文化大革命について取り上げられて話題になっています。

たとえば、文化財を壊して回ったのが信じられかったり、死者数の多さが取り上げられたりしています。

文化大革命のおすすめ映画はある?

ラストエンペラー

ラストエンペラーは、清朝最後の皇帝であり、満州国皇帝でもある愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の人生を記録した映画です。

愛新覚羅溥儀は普通の市民となった1967年、文化大革命の最中に死にます。この文化大革命の時代に翻弄される姿も見所のひとつです。

芳華-Youth-

芳華-Youth-は1970年代の中国を舞台にした恋愛映画です。農村出身の女の子と、兵士の男の子が時代が変動する中で出会い、さまざまな困難がふたりを襲います。

文化大革命の背景もわかるので、おすすめです。

死霊魂

死霊魂(しれいこん)は1950年代後半の文化大革命の少し前に起こった出来事の映画です。共産党が55万人もの人を収容所に収容して大飢饉が発生しました。

生き延びた人たちの証言をつないだ、8時間超えの映画です。当時の中国を知る上で貴重な映画となります。

まとめ

今回は文化大革命についてわかりやすくご説明しました。

大躍進政策の失敗が文化大革命を引き起こし、社会主義思想を持った紅衛兵たちが運動を激化させました。

この一連の流れを理解するのが大切です。

ぜひ、参考にしてみてください。

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