2020年にアルメニアとアゼルバイジャンの間で紛争が発生しました。
ナゴルノカラバフ紛争とも呼ばれて、最新鋭の兵器が使われたとしても話題です。
そんなナゴルノカラバフ紛争はなぜ起こり、どういった結末を迎えたのか簡単にわかりやすく解説します。
ナゴルノカラバフ紛争とは?わかりやすく解説
ナゴルノ・カラバフ紛争は、コーカサス地方のアゼルバイジャンとアルメニアの間で長年続く民族紛争です。1980年代後半から始まり、現在も完全な解決には至っていません。
2020年に発生したアルメニアとアゼルバイジャンの戦争も、ナゴルノカラバフ紛争にあたります。
ナゴルノカラバフという地域の領土がアルメニアに属するのか、アゼルバイジャンに属するのかで争われた紛争です。
この2020年は戦争の結果、アゼルバイジャンが勝利しました。
詳しく見ていきましょう。
ナゴルノカラバフ紛争が起こった原因と背景
ナゴルノカラバフは、アゼルバイジャンに周りを囲まれています。また、アルツァフ共和国とも呼ばれることもあります。
この土地はアゼルバイジャンに囲まれた地域ですが人口の70%がアルメニア人です。
ナゴルノカラバフの歴史
9世紀末、ロシア帝国の支配下に入り、アゼルバイジャンの領土とされました。
20世紀になると、ナゴルノ・カラバフのアルメニア人は、アルメニアへの併合を要求するようになりました。
ナゴルノカラバフに対するアルメニアとアゼルバイジャンの主張
アルメニアとアゼルバイジャンは以下のような主張をしています。
- アルメニア
数千年に渡ってアルメニア文化の中心地だったと主張 - アゼルバイジャン
アルメニアより早くに定住してカフカース・アルバニア王国を建国していたと主張
このように古くから対立してきましたが、アルメニアとアゼルバイジャンはもともと、ソ連の一部だったのでソ連時代は問題は棚上げされていました。
しかし、ソ連が崩壊する頃から問題が再熱し始めました。
ナゴルノカラバフ紛争は過去にも発生
歴史的には、第一次(1988年~1994年)と第二次(2020年)ナゴルノカラバフ紛争が発生しています
第一次ナゴルノカラバフ紛争(1988年から1991年まで)
第一次ナゴルノカラバフ紛争はソ連崩壊前後の1988年から1991年まで発生しました。
ナゴルノ・カラバフでアルメニア人による自治要求デモが発生し紛争に発展します。
その結果、数千人の死者を出しながらアルメニアが勝利して、ビシュケク協定が両国間で結ばれて停戦に至ります。
その後、以下のような流れを辿ります。
- アルメニアとアゼルバイジャンが国交断絶(1991年〜)
- トルコがアルメニア側の国境を封鎖(1993年〜 )
- ナゴルノカラバフがナゴルノ・カラバフ共和国として事実上独立
- アルメニアがナゴルノカラバフを占領
ちなみに、トルコはアルメニアと民族、言語的にも近く友好的です。
一方、トルコはオスマン帝国時代、アルメニア人を虐殺しており、これが原因でトルコとアルメニアの関係は冷え切っています。
第二次ナゴルノカラバフ紛争(2020年)
2020年にナゴルノカラバフ紛争が再び発生しアゼルバイジャンの勝利で終わりました。
この時は、アゼルバイジャンが開戦したと言われていますが、開戦に至った理由にはいくつかあります。
- アルメニアのナゴルノカラバフでの影響力増加を懸念
- 経済不況とコロナの不満を国民から逸らしたかった
- アルメニアの内政変化によりチャンスと考えたから
トルコの近代兵器が用いられた
アゼルバイジャンはトルコからのAIドローンなど近代的な兵器を使用して戦争に勝利しました。
AIドローンは兵士の持つ電子製品から兵士の居場所を特定して攻撃することが可能です。アゼルバイジャンはトルコからこの最新鋭の兵器を提供してもらって戦争を勝利に導きました。
また、ターゲットを見つけると自動的に突っ込んでいくイスラエル産の自爆ドローンも多用しました。
ちなみにTwitterなどのSNSを利用した両国のプロパガンダ合戦も話題になりました。
ロシアはなぜ積極的に関与しなかった?
イスラエルやトルコがアゼルバイジャンを支持する一方で、フランスやイランはアルメニアを支持しましたが国連など多くの国は停戦を求めました。
そして、アメリカやロシアの働きかけのもとで最終的に停戦に至ります。
ちなみに、ロシアはアルメニアなど旧ソ連5カ国とともに集団安全保障条約機構(CSTO)を結んでいて、加盟国が攻撃を受けたら同盟国が反撃をし返すことになっています。
しかし、ロシアはナゴルノカラバフが正式なアルメニア領ではないという理由で積極的に関与しませんでした。
旧ソ連地域であり、ロシアの存在が大きいのですがロシアが積極的に関与してこなかったのは、アルメニアとの関係をうまく扱うためでした。
ロシアはアルメニアに武器を提供していましたが、実は2018年にアルメニアで民主主義革命が起こり親露政策の見直しと欧米側への接近が目論まれていました。
この紛争でアルメニアの敗北が確実になれば必ずロシアの助けを必要とするので、アルメニアが親露の立場を取るだろうと考えていたのです。
また、表立ってアルメニアの支援を行えば、アゼルバイジャンとロシアの関係が悪くなります。そのため、アルメニアに敗北してもらった方がアゼルバイジャンと関係を悪化させない上、ロシアがナゴルノカラバフに平和維持部隊を置くこともできます。
ナゴルノカラバフの現在
ナゴルノカラバフでは、現在も緊張が高まっています。
ナゴルノ・カラバフの最終的な地位は依然として決まっておらず、国際社会による解決策の模索が続いています。
2023年も局地的な紛争が起こっており、両国がこの地を争う構図は続いています。
まとめ
今回はナゴルノカラバフ紛争についてご紹介しました。
アルメニアとアゼルバイジャンの間には紛争の火種があって、今回の紛争が勃発しました。
また、地域の大国であるロシアの立ち回りも注目するべきポイントです。
ぜひ、参考にしてみてください。