大躍進政策をわかりやすく解説!スズメ駆除して飢饉が発生?

大躍進政策とは現代中国を作るきっかけになったできごとで、数多くの餓死者が発生しました。

では、なぜこの大躍進は行われて、悲惨な結果を招いたのでしょうか。

今回はこの辺りを含めて、大躍進政策について簡単にわかりやすく説明します。

大躍進政策とは?わかりやすく解説

大躍進政策(大躍進、だいやくしん、英語訳:Great Leap Forward)とは、1958年から1961年まで行われた、農業と工業の発展を目的とした政策です。特に力を入れるのは鉄製や四害駆除、農業といった内容でした。

一方で外国に頼らないで中国国内で特に鉄鋼を生産しようとしましたが、農業が疎かになってしまい大量の餓死者を出すことになりました。

大躍進政策の死者数はどれくらい?

大躍進政策の死者数は諸説あって、少なくとも1625万人が亡くなったことが中国の統計でわかっています。

また、歴史学者のフランク・ディケーターによると、7000万人を超えるとも指摘しています。さらに餓死以外に、国内の混乱など他の原因を含めるとさらに増えるといいます。

大躍進政策はなぜ失敗した?

なぜ、大躍進政策は失敗したかというと、以下が答えです。

  • ソ連との関係悪化し、優秀なソ連人が消えた
  • 素人が製鉄して大惨事
  • 害虫を食べるスズメを害虫として駆除した
  • 農業の知識がなかった共産党員

工業や農業に専門知識を持った人がおらず、素人が間違った方法で農業と工業を発展させようとしたことが原因です。

順番に見てみましょう。

大躍進前の時代背景

中国は1953年に第一次五カ年計画を開始します。第一次五カ年計画は、ソ連で1928年から1932年の間にスターリンが行なった、重工業化と農村集団化を目的とした五カ年計画を見習ってはじめたものです。

ソ連の技術と資金面の援助があったことで、第一五カ年計画は成功しました。8割の国民が農業を営んでいましたが、重工業を推進したことによって、重工業が農業の総生産を上回ります。

見事に農業国から工業国に転身しました。この結果とデータをもとに第二次五カ年計画に踏み切ります。

ソ連との関係悪化し、優秀なソ連人が消えた

中国とソ連は社会主義に関する価値観の違いで悪化します。

1956年にソ連でフルシチョフが1953年に亡くなったスターリンを批判する演説を行います。内容はスターリンの個人崇拝や粛清に対する批判、外交面での転換を訴えていました。

そして、毛沢東はフルシチョフの平和的に社会主義を確立できるなどといった思想について、マルクス主義に反すると反発します。また、同じように独裁的だった毛沢東はスターリンのように批判されることを恐れるとともに、毛沢東はスターリンを見習って国造りを行っていました。

これがきっかけで中国とソ連は対立するようになります。

素人が製鉄して大惨事

ソ連は「ソ連が工業と農業で15年以内にアメリカを追い越す」と発言したのに対して、毛沢東は「15年で世界2位のイギリス経済を抜く」と対抗します。そして、イギリスは鉄鋼で発展したからという理由で、鉄鋼業に力を入れるようになります。

しかし、ソ連と関係が悪化しているで、第一次五カ年計画と違って全て自国の力で行わなければなりません。

毛沢東は自国民に溶鉱炉(ようこうろ)を作らせて、鉄鋼を生産させようとしました。しかしながら、作る知識も技術もないため、粗悪品だらけとなります。さらに農民は農作業の道具まで溶かして鉄を作っていたので、農業ができなくなります。

また、製鉄のために、山が切り開かれたので、洪水や土砂崩れもよく起こるようになりました。

害虫を食べるスズメを害虫として駆除した

毛沢東は農業の生産力をあげるために、以下のような生物を害虫と認定して駆除します。

  • ハエ
  • ネズミ
  • スズメ

この中で一番駆除していけなかったのは、スズメです。スズメは農作物を食べる一方で、農作物につくイナゴも食べていました。

その結果として、イナゴが農作物を食べて、ダメージがかえって深刻になってしまい、農業生産は低下します。

農業の知識がなかった共産党員

また、農業では、毛沢東は人民公社という組織を作って、農家に集団で農業するようにさせます。人民公社は共産党の指導によって農作業を行っていましたが、共産党員には農業に関する知識がありませんでした。また、農作業の道具は全て鉄を作るために溶かしてしまいました。

さらに、共産主義なので、どれだけ農作業を頑張っても所得は同じです。これが労働意欲の低下を招いて農業に本気で従事する人は少なくなりました。

大躍進政策と文化大革命の違い

大躍進政策(1958年〜1961年)のあとに文化大革命(1966年〜1976年)が起こりました。

両者の違いは以下の通りです。

  • 大躍進政策:農業と工業を押し進めたが失敗に終わった
  • 文化大革命:毛沢東が大躍進の失敗を取り戻そうと始めた権力闘争

大躍進で工業と農業を発展させるつもりでしたが、結果は大失敗で餓死者がたくさん出ました。そして、毛沢東は権力の座から遠ざかりますが、下馬評を覆すために始めたのが文化大革命です。

紅衛兵(こうえいへい)という毛沢東の信者である若者に、知識人や文化財を攻撃するように仕向けました。

現代の日本での反応

なんjでは書き込みが相次ぐ

なんjという書き込み掲示板では、大躍進でスズメを駆除したことで、飢饉が相次いだことが話題になっています。

スケールが大きな話なので、現代日本人の感覚からは到底理解できないものです。

大躍進政策の語呂合わせ

大躍進政策は1958年に始まりました。それを踏まえると、以下のような覚え方があります。

  • 1:生きて
  • 9:苦しむ
  • 5:ゴミの
  • 8:山

大躍進が失敗したことを表すために、ネガティブな単語を並べています。

ゴミが人を表すのか、鉄クズを表すのかは解釈次第です。

まとめ

今回は大躍進政策についてご紹介しました。

知識を持たない人が農業や工業に従事して失敗したのですね。

ぜひ、この記事を参考にして現代中国の理解を深めてください。

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